憲法と法律の違い

ある時、気が付いてしまった。憲法と法律には、決定的な違いがあると。(法律=憲法以外のあらゆる国内法)

対比

  • 憲法には...
    • 国民の権利が書かれている。(権利を主張するために若干の義務もあるけど)
    • 国家の義務が書かれている。
    • つまり、国家の権力を制限して、国民の権利を守る目的があるのだ。
  • 一方、法律には...
    • 国民が守らなければならないルールが書かれている。
    • 国民がしてはいけないことが書かれている。
    • つまり、国家が権力を行使して、国民の権利を制限している状態だ。
      • 但し、制限しているのは、国民の権利だけでなく、法人の権利の場合もあり得る。
      • 法人の権利を制限して、結果として国民の権利を守ったり、
      • 直接的に国民の権利を守る法律も、存在する。


別の視点で見てみる。

  • 国民の権利を...
    • 憲法は守り、法律は制限する。
  • 国家の権力を...
    • 憲法は制限し、法律で行使する。
  • 国民は法律を守らなければならないが、憲法は人権を保障してくれる。
  • 国家は憲法を守らなければならないが、法律によって権力を行使する。


憲法は私たちに自由を与え、法律はその自由を制限する!
この違いに気付いた時、俄然、憲法に興味が湧いてきた。

  • さんざん、憲法=見方、法律=敵、のように書いてしまったが、法律だって、なくてはならない法である。
  • 誰かの権利を守るために、別の誰かの権利を制限しなければならない状況というのはよくあることで、
  • 法律は、権利と制限の境界を明確にしてくれるのだと思う。
  • 無制限な自由は、巡り巡って結局、自分の自由も奪ってしまう...。
  • だから、法律もとっても大切。

...な、はずなのだけど、

  • 法律によっては、どう考えても国民全体の幸せ度数を下げてる!としか思えない法があったりする。
  • そんな法律であっても、一旦施行されてしまえば、守らなければならない。
  • どんな法律でも守らなければ、違反は違反。そう言って、情け容赦なく取り締まってくる。
  • そして、一旦施行された法律を、国民の意思で改正することは容易ではない。
  • というか、ほぼ不可能な気がしてる。
  • だから、国民全体の幸せを奪う法案には徹底的に反対したいのだけど、国民には直接反対する権利がない。
  • 法案を成立か、廃案かの判断は、国民の代表の方々が集う国会に委ねられている。
    • あるいは...条例であれば、地方公共団体の議会。
    • 政令であれば、内閣。
    • 通達であれば、それぞれの行政機関。
  • 国民の権利を制限するものでありながら、国民が直接的な反対をすることはできない。
    • 常に1億人の意見を集約する直接民主主義なんて不可能なのだから、当然の仕組みなのかもしれないけど。
  • だから代表の方々には、法律の一字一句に細心の注意を払って、賛成あるいは反対を表明して頂きたい気持ちでいっぱい。
  • たった一文字の違いで、国民を豊かにしたり、不幸にしたり、することもある。
    • 1文字の違いが不具合を引き起こすところは、プログラミング言語と同じような感覚である。
    • ならば法律もバージョン管理システムで管理して、GitHubのように公開されると良さそう。
    • いつ、だれが、どこを、どのような意図を持って修正したのかが公開されれば、悪意のある修正はそうそうできないはず。

自由を守る道具

  • ところで、先ほど「法律を国民の意思で改正することは、ほぼ不可能」と書いてしまったけど、一つだけ直接反対する方法がある。(本当は、もっとあるかも)
  • それは、法律が憲法に違反していることを訴えて、裁判所に認めてもらうこと。
  • 憲法は国内の最高法規であり、あらゆる法律や行為は、憲法の規定を守らなければならないのだ。
  • もし法律が憲法を違反していたら、その法律は無効とみなされる。
  • 素晴らしい仕組みである!

自由の価値

  • 学生の頃は校則に縛られ、
  • 就職すると社則に縛られ、
  • 車を運転すれば道路交通法に縛られ、
  • 結婚などして世帯主となれば、その他様々な法律に縛られる。
    • もちろん法律によってサービスが提供されたり、権利が守られる場合もあるのだが。
  • ルールには常に制限される感覚があったものだから、いつの間にか憲法もそれらのルールと同じ類いだと思い込んでしまっていた。
  • ちゃんと学生時代のどこかで、憲法基本的人権を尊重していると習っていたはずなのに...。
  • きっとその頃は、基本的人権の価値を、ちゃんと理解できていなかった。
  • 基本的人権という単語を覚えて、テストで○は貰えるようになったけど。
  • 憲法が規定するまでもなく、自分は自由だ、好きなようにやる、ぐらいにしか思っていなかった。
  • 憲法が規定するまでもなく自由、というのはある意味正しいのだけど、
  • それは自由を許容する社会に生きているからこそ、当然のように思える感覚なのだ。
  • 憲法基本的人権が尊重されている時代なんて、まだ70年にも満たないはず。
  • それ以前の今より自由が制限されていた遥かに長い時代を過ごして、今がある。
  • また、海外に目を向ければ、現在でも基本的人権が尊重されているとは言えない地域もある。
  • たまたま今の日本には空気のようにありふれた自由があるけど、それは奇跡的なことなのだ。
  • そんな日本であっても、油断すると、自由はすぐに侵害される。自由とは、はかないもの。
  • 子供の頃は、黙っていても、周囲の大人が子供の権利を守ってくれる。(悲しいことに、そうでない場合も稀にあるが)
  • 大人になると、自分の権利は自分で守るしかない。
  • 子供の権利を守らなければならない立場にもなる。
  • そうやって年齢とともに権利の主張を繰り返し、幾多の理不尽を経験して、自由や人権の本当の価値を感じるようになってくる。
  • 自由や人権の価値を感じたら、それを守らなければならない、と思うようになった。
  • 憲法とは、自分たちの自由や人権を守る最後の砦。
  • 弱い立場の一国民でも、憲法が規定する自由や人権を盾に、巨大な国家権力とも渡り合える可能性があるのだ。
  • もし憲法が存在しなかったら、一国民の小さな声は、国家権力の大きな声にかき消されたままになってしまう。

賛成または反対する権利

  • ところで憲法を改正するには、法律と違って慎重な手続きが必要と規定されている。
  • 国会の2/3以上の賛成で発議して、国民投票による過半数の賛成が必要なのだ。(96条)
    • 国民投票とは、国民一人一人が直接投票する仕組みである。
    • ちなみに法律であれば、国会の過半数の賛成で成立となる。(56条)
  • 憲法は国民の自由や権利を守るものであり、それを改正できるのも国民だけ。
  • 憲法改正案を成立させるかどうかは、国民一人一人の意思に委ねられている。
  • これは尊い権利である。国民は、この権利を最大限行使しなければならない。
  • 憲法は国民の権利を守る最後の砦なのだから、その憲法が悪い方向に修正されたら、その影響は計り知れない。
  • 憲法最高法規であり、憲法の規定は法律より優先される。
  • 国民は憲法によって、悪い法律に対抗することはできるが、
  • 一旦改悪されてしまった憲法に対しては、国民が直接対抗する手段はなくなってしまう...。
  • 憲法のことはよく分からない、だから投票もしない、というのも危険である。
  • 国民投票過半数の判定は、賛成か反対を記入した投票用紙の総数を分母に行われるらしい。
  • そして国民投票のルールを規定する法律には、最低投票率の制限はない。
  • 仮に国民投票投票率が30%だとしたら、有権者のたった15%が賛成しただけでも成立してしまう。
  • 得てして、賛成の有権者は能動的に投票する傾向があると思う。
  • 一方、反対の有権者は、賛成の有権者ほど能動的に投票しないのではないか?と心配してしまうのは、杞憂だろうか?
  • あるいは、有権者が投票しないという行為に、暗黙の現状維持を示唆することを感じているのは、自分だけだろうか?
  • 最低投票率を制限せず、有権者数ではなく有効票数を分母に判定する現状の方式は、賛成派や権力側に有利に働く仕組みと思えてしまうのであった。
  • 今の仕組みでは、もの言わぬ人は、雄弁な人に負けてしまう...。
  • 失った自由や権利の価値に気付いた時には、もう手遅れである。
  • だから国民投票の機会があったら、賛成なのか、反対なのか、自分の意志を明示すべきなのだ!

国民投票が開催されたら、絶対に投票すべきである!

改正か、改悪か、それが問題だ

  • そうは言っても、何を基準に賛成または反対を決めれば良いのだろうか?
  • 自分は、改正されれば賛成するし、改悪されれば反対なのだけど、何を持って改正、改悪を判断すべきか。
  • 憲法は国民の権利を守り、国家の権力を制限する、という役割(少なくとも自分自身はそのように思っている)を考えれば...
    • 国民の権利が拡大する方向にあれば改正、縮小する方向にあれば改悪。
    • 国家の権力が拡大する方向にあれば改悪、縮小する方向にあれば改正。
  • 自分自身は、基本的に上記のような視点で判断して行くと思う。
  • ところで、自分の権利ばかり主張していたら、国家(社会)が成り立たなくなってしまう、という意見もある。
  • まったく、そのとおりだと思う。
  • だから現憲法にも、国民の義務が規定されている。
  • 憲法から数少ない国民の義務を抜き出してみた。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
     すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
     賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
     児童は、これを酷使してはならない。

第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

  • 憲法が国民に求めていることを要約してみる。
自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、保持しなければならない。
自由及び権利は、濫用してはならない。
自由及び権利は、常に公共の福祉のために利用する責任を負う。
国民の権利は、公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を必要とする。
保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。
勤労の義務を負う。 
納税の義務を負う。
  • 基本的に上記規定が守られているなら、個人の自由と権利は最大限尊重されるべきと解釈した。
  • もし国民に対して、上記以外の義務や制限が追加されるのであれば、それは要注意である。

部分的な賛成は反対

  • 部分的に賛成と反対が混在する改正案に対して、賛成・反対どちらを投じるか?という悩ましい問題もある。
    • 国民投票では、賛成か反対のどちらかしか投票できない仕組みらしい。
  • 大部分に賛成なら、一部賛成できない条文もあるけど、まあ賛成でいいか、と妥協してしまいそうになるけど、
  • よく考えたら、そこで負けてしまったらダメだと思った。
  • その辺はビジネスの契約書と同じだと思う。
  • 契約書を承認するときは、すべての条文に納得した上で捺印するはず。
  • 国民投票で賛成するということは、憲法という国民と国家との契約書に捺印するのと同じなのだと思う。
  • 妥協してしまったら、後でその妥協した条文に苦しめられることになる。
  • その契約は、自分だけでなく、将来に続く子供たちをも縛ることになってしまう。