南の島の巨大な石のお金の話
貨幣や経済の本でよく引用される、南の島の巨大な石のお金の話(有名らしい)が好き。何年か前に、どこかのページで読んだ。とても良くまとまっていて、面白い話だなーと、感銘を受けた。いつまでも記憶に残っている。しかし、今検索しても、感銘を受けたあのページは見つけられない...。関連する情報はたくさん出てくるのだが、以前見たのとはちょっと違う気がした。ならば、自分で書き留めておこうと。若干の想像や創作が入ってしまうかもしれないけど、忘れたくないので書いてみる。
巨大な石のお金
ミクロネシアのヤップ島では、島中に大きな石のお金が置かれているらしい。小さいものは直径30cmくらいから、大きいものでは3m以上、その重さは5トンにもなる。
まさしく、アニメ「はじめ人間ギャートルズ」の世界のようだ。ギャートルズの世界は原始時代の設定であったが、ヤップ島ではつい最近(20世紀初頭)まで、このような石のお金=石貨が実際に使われていたという。*1
石貨の価値
円形の石貨の中央には穴が開いている。その穴に棒を通してコロコロ転がして運ぶように設計されているのだ。石貨の材質は石灰石である。しかし、ヤップ島に石灰石は存在しない。実は、はるばる500km以上も離れたパラオ島まで行き、円形に切り出し、穴を開けて、カヌーや筏に乗せてヤップまで運んでいたそうだ。往復1000km以上の大航海である。
小さい石貨なら力仕事にはなるが、一人でもどうにか運べたであろう。ところが、直径3m、重さ5トンもある巨大な石貨の場合、一体どうやって運んだのだろう?何十人もの仲間を引き連れ、テコやコロの原理を使いながらどうにか筏に乗せ、荒海に漕ぎ出し、持ち帰ってくる。全てが人力なので一大事業である。悪天候に見舞われれば、遭難や沈没もあったはずである。命がけの仕事である。
そのようにして持ち帰った石貨は、その大きさもさることながら、持ち帰るまでの苦難の行程によって貨幣としての価値が決まるらしい。石貨運搬に携わったヤップの仲間たちが証人となり、いかに苦労したか、どれほど危険であったかを語り継ぐ。それは伝説となり、それぞれの石貨に紐付いているのだ。
支払方法
そのように苦労して持ち帰った石貨は当然重く、巨大である。一人ではとても動かせない。ではAさんがBさんに石貨で支払う時、AさんはどうやってBさんに石貨を手渡すのか?Aさんは再び何十人もの仲間を雇って、Bさんの家まで運ぶのだろうか?
否、賢いヤップの人たちはそんな非効率なことはしない。AさんとBさんは「今日からこの石貨はBさんのものになった」とヤップの仲間たちに周知するだけでOK。特に名前を彫ったり、印を付けることもなく、語り継ぐだけ。たとえAさんの家の前に置かれたままでも、今日からその石貨はBさんの所有になるのだ!Bさんも含めて皆それで満足している。*2
なんと!現在にも通ずる素晴らしい貨幣システムが既に存在していたのだ!
海中に沈んだ石貨
ヤップの長老曰く、近くに住む、とある家族の資産は計り知れないそうだ。しかし、その資産の現物(石貨)を誰一人として、その家族の者でさえ、見たことはないという。それでも、その家族はヤップ一の大金持ちと、皆が認めているそうだ。
実は、何世代か前のその家族の祖先は、石貨を求めて遠くの海へ旅立ち、巨大な、途方もない価値の石貨を手に入れたそうだ。しかし、巨大な石貨を乗せた筏は、帰路の途中(あともう少しのところ)で激しい嵐に巻き込まれてしまった...。そして自分たちの命を守るためには、その筏をつなぐロープを切るしかない状況となった。やむなくロープは切られた。筏と石貨は海中に消えてしまった...。
一方、石貨運搬に携わった仲間たちはどうにかヤップに辿り着いた。そして、海中に沈んだ石貨の巨大さと比類なき品質、激しい嵐までの一連の苦難を語った。さらに、石貨が海中に沈んだのは自分たちの過失ではないと全員が証言したそうである。
その証言はヤップの人たちに広まり、受け入れられた。石貨が海中に沈んでしまったのは事故である。その石貨が適切な形に彫り出されているのなら、たとえ海中(ヤップ島の海岸から60〜90m程度の位置)に沈んでいようとも、その価値は損なわれないのではないか。こうして、海中に沈んだその石貨も、家の横にある石貨と同等であると認定され、その家族が所有することとなったそうだ。海中に沈んでしまったその石貨の価値によって、その家族は今でも豊かに暮らしているのだ。
×印で価値を失う石貨
ヤップ島は、列強の勝手な統治争いによって、その領有権が度々変わってきた。1898年、ドイツ政府が領有権を引き継いだ時、ヤップ島の道は荒れ果てていて、とても車が通行できる状態ではなかった。そこでドイツ政府は島民に道を修繕するよう通達を出した。しかし、裸足&徒歩専門のヤップの人たちにとって、歩くには十分な状態であった。そのためドイツ政府が何度通達しても、道の修繕は一向に進まなかったそうだ。
そこで、ドイツ政府は通達に従わない地区には罰金を科すことにした。どのようにして罰金を徴収するか、思案の末、ある名案が浮かんだ。通達に従わない地区に役人を送ると、石貨に黒いペンキで×印を付けて回った。石貨がドイツ政府の所有であると明示したのだ。
たかが×印を書いただけなのに、この方法は嘘のようによく効いた。ヤップの人たちはたちまち貧困に陥ってしまったのだ!大変なことになってしまった...と悲観したヤップの人たちは、心を入れ替え一生懸命に修繕した。そして、道の修繕は一気に進んだ。
再び、ドイツ政府は役人を送り、今度は石貨に書かれた×印を消して回った。すると、ヤップの人たちは罰金が戻ってきた!と歓喜した。こうして、ヤップの人たちは以前のように豊かな生活を送れるようになったということだ。めでたし、めでたし。
以上の話はフィクションではない。歴史上の事実であり、現実に起こったことだ。その当時のヤップの人たちにとっては死活問題であったのだが、今こうして読むと、何だかとても馬鹿げた騒動に感じる。先進的な貨幣システムを使っていたはずのヤップの人たちが、たかが×印にどうしてこうも振り回されてしまうのか...苦笑する人は多いかもしれない。
歴史は繰り返す
1931〜1933年にかけて、フランス中央銀行は心配していた。金1オンス=20ドル67セントという価格では、アメリカが金本位制を堅持できないのではないかと。そこでフランス中央銀行は、アメリカにおいて保有しているドルと金の交換を始めた。しかし、相当な重さの金塊を大西洋を横断してフランスまで運ぶには、労力とリスクが伴う。それは避けたい。
そこで、ドルで購入した金はすべて、ニューヨーク連邦準備銀行に開設してあるフランス中央銀行名義の口座に移管して欲しいと依頼した。これに応じたニューヨーク連邦準備銀行は、金を保管してある地下金庫に係員を派遣した。係員は然るべき数の金塊を別の棚に移し、その棚に「フランス所有」というラベルを貼ったのだ。
あれあれ、なんだかヤップ島の石貨に×印が付けられたのと似ている!
この事実を知ったマスコミ各社は一斉に「金、減少!」「金、流出!」という見出しの新聞を発行した。そして、アメリカの通貨制度を脅かす事態!などと騒がれたのだ。アメリカの金準備量は減り、フランスの金準備量は増えたことになった。そのため為替市場はドル安フラン高に動いたのだ。結果的にこの事実が、1933年の金融恐慌の引き金(要因の一つ)となった。
疑問
- ニューヨーク連邦準備銀行の地下金庫の棚に貼られたラベルのせいでドル相場が弱くなった信じた人たち。
- 石貨に付けられた×印のせいで貧しくなったと信じたヤップの人たち。
この両者の間に、本質的な違いはあるのだろうか?
- はるか5000km離れたニューヨークの地下金庫の棚、そこに貼られたラベルによって為替レートが強くなったと信じたフランスの人たち。
- 沖合の海底に沈む見たことのない石貨によって、あの家族は裕福だと信じるヤップの人たち。
この両者の間に、何らかの違いはあるのだろうか?
- ヤップの人たちは遠く離れた島で採掘・成形した石を、苦難の末に自分たちの島まで運ぶ。それが財産の具体的な明示であると信じている。
- 一方、私たちは地下深くから金鉱を掘り出し、苦労して精錬した純度の高い金を、厳重な地下金庫に再び埋め戻す。それが財産の具体的な明示だと信じている。
両者が信じるものの本質に、果たして違いはあるのか?
こぼれ話
19世紀の終わりごろ、アメリカ人商人デヴィッド・オキーフが、帆船を用いて、大量の巨大石貨をヤップに持ち込み、島の人からコプラを買い集めるという取引を始めました。島の人はこぞって取引に応じましたが、そのうち、オキーフの石貨はいくら巨大でも、あまり労力がかかっていないことに気付きました。そのため、オキーフの石貨は、カヌーで運ばれた石貨よりも価値がないとされました。
http://raimane.com/world/his/213/
その価値観を崩したのは、誰あろう、ほかならぬオーキフであった。 彼はヤップ人たちが小さなカヌーで苦労して持ち帰る石貨を、 西洋の大きな船でやすやすと持ち帰った。 彼の持ち帰った石貨の表面は、鉄斧を使ってぴかぴかに磨かれていたという。 ヤップ人たちはその技術に驚いた。 ‥いや、正確に言うと、技術に驚いたのではない。 ぴかぴかに磨かれた石貨の美しさに驚いたに違いない。
だから最初、ヤップ人たちはオーキフが持ち帰った大きくて美しい石貨に大喜びし、 いろんなものと交換した。 オーキフはどんどん石貨を持ち帰り、瞬く間に大金持ちになった。
彼のほうはそれでよかったかもしれない。 だが、ヤップの経済は、大混乱に陥った。 石貨の急増により、深刻なインフレ状態にみまわれたのだ。
彼らは新たな価値観を見出す必要に迫られた。 彼ら自身が持ち帰った石貨にあって、オーキフの石貨にはないもの――彼らはそれを探した。 そして、それまで二次的な要素であった石貨のもつエピソードに目をつけた。 この石貨をヤップに運び込むために、同胞がどれだけ苦労したか、どれだけの犠牲を払ったか、 その汗と涙の大きさこそが、石貨が持つ真の価値ではないか、と考え始めた。 人々は、大きくてすべすべのオーキフ石貨を軽視しはじめた。
【 ヤップの石貨 】パラオ旅行記
参考
本
Web